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ちょっと本を作っています

ちょっと本を作っています

その4

アレッ、借金が消えていく

恐る恐る『中村さん』に電話を入れた。

「ともかく顔を出せ」と言う。

平日は忙しいので土曜日にして欲しいと頼んで、出向くことになった。

前に出向いた、いかがわしそうな事務所ではなく、駅で待ち合わせたいという。

千葉駅からモノレールに乗り、指定の駅に着いた。

改札口に待っていた『中村さん』はニコニコと笑いながら、「昼飯は食ったか? 寿司でも食いに行こう」と声をかけてきた。

こちらは謝りに来たつもりだから調子が狂ってしまった。

ともかく寿司屋に入って真昼間からビールを飲み始めたのだが、支払いが遅れた理由を、相変わらずニコニコと笑いながら聞いているだけだ。

前日まで事件に追われてあまり寝ていなかったせいもあり、ビールから焼酎に替わり、杯を傾けているうちにすっかり酔っぱらってしまった。

いつ頃店を出たのか覚えていない。

ほかの店へも連れて行かれたそうだが、だらしないことに丸っきり覚えていない。


翌朝、目を覚ますと知らない家にいた。

私が起きたのを見て、これまた知らない女の人が「お客さん起きたよ」と奥へ声をかけた。

「オウ」と現われたのはくだんの『中村さん』だ。

アレッ、またヘマをしたと謝る前に、「バアさん、酒だ」と叫んでいる。

あとで聞いた話だが、その家に泊まっていった客は私が最初らしい。

三十年ほど連れ添って、初めてだと奥さんも言っていた。

何を気に入ってくれたのか、その後、たびたびご馳走になる機会が増えた。

「俺はホトケの中村と呼ばれている」と本人が言うとおり、いつもニコニコ聞き役に回っている。

でも、若い時は結構悪さもして、いく度もブタ箱の世話にもなっているらしい。

全国指名手配にもなったことがあるそうだ。

前科六犯だそうで、事件物の金融屋と正体不明の不動産屋をやっているらしいが、実体が掴めない。

腹を決めれば恐いものなしが私の本性なので、飲みに行くと先に酔っ払ったほうが勝ちと勝手に振る舞わせてもらう。

何度目にか飲みに行った時、酔いに任せて、「借金をチャラにして欲しい」と持ちかけた。

『中村さん』はギョッと一瞬黙ってしまったが、全部をチャラにすることは出来ないと言う。

「いくら払えば、残りを放棄してもらえますか?」

せめて一千万円は払ってもらわなければとの答えだ。

そんな金、逆立ちしても出来っこない。

「それは無理ですよ」と言うと、百万円ずつ下げてきて、最後は五百万円まで折れて来た。

それさえも不可能だというところでお開きになってしまった。

家に帰って女房に話すと、大嫌いな街金に債務が残っているなんて困るから、なんとか処理したいという。

でもそんな金もなく、「やっぱり駄目か」とのつぶやきで、話も終わってしまった。

翌朝、多分一晩中考えていたのだろう。

女房から、無理して息子の貯金などをかき集めれば二百万円なら出来そうだとの話が出た。

早速、『中村さん』に電話を入れたのだが、「二百万じゃねえ」と言葉を濁された。


一週間ほどして『中村さん』から電話がかかって来た。

「また飲みに行こう」との誘いだ。

ちゅうちょしていると、様子を察したのか急に「わかった。二百万でいい」と言い出した。

シメタと思ったが、いくら良さそうな人とは言っても街金業に変わりはない。

こちらで残債放棄の約定書を作成して判を貰うことと印鑑証明も準備してもらうことを申し出た。

「お前って奴は、俺を信用してないな」との言葉が返ってきたが、すぐ後に「わかった用意させる」「これで対等に付き合えるだろう」と言う。

翌週、弁護士さんに頼んで約定書を作成してもらい、なけなしの二百万円を持って千葉へと出向いた。

その日、すべてを終えた後に、例によって「さあ、飲みに行こう」との声がかかった。

無事終わったのかどうか女房も心配していることだし、一軒だけと言うと、「そうかい、借金がなくなったら俺とは付き合えないんだ」と軽口を叩かれた。

酒を飲んでいる先で、どのようにして金を作ったのかを話していると、急に財布を取り出し、輪ゴムで止めた一万円札を十枚引っ張り出した。

「土産でも買って、家へ持って帰ってくれ」

固持しようとすると、俺に恥をかかすな一度出した金が引っ込められるかと言う。

踊り出したいような気分で家に帰ったが、これは息子に返す分とすぐに取り上げられた。

そりゃそうだろうな。


今でも『中村さん』とは毎週のように飲んでいる。

千葉まで出向くのはチョッピリ遠いのだが、街金の苦労話や、地上げで儲けた話、中には詐欺まがいの商売など、聞けば聞くほど面白い。

彼自身、最近六百億円の負債を抱えて倒産した会社の社長だそうだ。

最近になって、彼は自分の不動産会社を手放してしまった。

街金のほうの会社も、もう辞めたいと言い出した。

新しい事業をいろいろと考えているそうだ。

一緒になんかやろうよと言う。

私のせいではないとは思うが、まっとうな商売なら、ぜひ一緒に組んでやりたいものだと思っている。


怖がれば、柳も幽霊に見える

この本に登場する人たちには、本にする前に、前もって断っておこうと前述のスキースクールを運営する会社を訪ねた時のことである。

「あんた、街宣車で押しかけた右翼を、追い返したんだって」

そう言えばそんなこともあったなと思い出した。

でも、なんで知っているのだろう。

「なんで知っているんですか?」

「いゃあ、以前T君が来て、右翼の連中がお宅へ押しかけたんだけど箸にも棒にもかからない社長で参った。なんか弱点があれば教えてくれと聞いてきたらしいんだ」

T君とは、その頃確かにその件で関わり合いのあった人物だ。

思い出した。高石書房を倒産させた後に、当時作ったビデオがあまり売れなくて、

「売れなかったのはお前のところの責任だ。予想どおり売れていればウン千万円の利益がこちらの関係するところに入るはずだった。責任を取って、その額を払え」

と街宣車に乗って怒鳴り込んで来た右翼がいたことがあった。

名刺には、黒々と右翼団体の名前と会長代行という肩書きが入っていた。

「スジが違う。そんなもの払えません」の一点張りで通した。

壁際に彼らが座っており、私は壁のほうを向いているので後ろが見えない。てっきり社員連中もそのままいると思っていた。

結構長時間彼らも粘っていたが、さんざん脅し文句を並べた上で、「俺も引き下がることは出来ない。明日また来るぞ」と捨て台詞を残して去って行った。

ホッとして振り返ると、そこには誰もいなかった。みんな怖かったのだろう。


やっぱり仕事は命がけだ。

でも仕事をしていて、本当に怖いものなんてあるのだろうか。

銀行取引き停止も、ブラックリストに載ることも、破産することだって別にどおってことはない。

ヤクザや右翼と渡り合うことだって、それほど怖いと思ったことはない。

銀行やサラ金などは、「もう融資が受けられなくなりますよ」とか「ブラックリストに載りますよ」とかの脅し文句を使うのが常套手段だが、もう借りないと決めれば、その脅しも効かない。

取り立てられるより、回収するほうがよっぽど大変なのだ。

この間、債権者の人たちに、もうこれ以上ないと言うほど自分をさらけ出して生きてきた。

この右翼の一件といい、千葉の『中村さん』の一件といい、いつの間にかクソ度胸も付いたのかもしれない。

それよりも、さんざん迷惑をかけた債権者の人たちが、長引く不況で苦境に陥っているのに、いまだに返済を滞らしていることのほうが、よっぽど恐ろしいことに思える。


『期限の利益の喪失』もなんのその

私は倒産した時に、サラ金や街金には手を出していなかったものの、『住専』と呼ばれるノンバンクからは借入れがあった。

銀行へ融資を依頼した時に、自分のところでは貸せないが、上場もしているし銀行が主要株主のノンバンクなので安心だからと紹介された。

長期の分割返済の契約で借りていたのだが、高石書房が一回目の不渡りを出すと、翌日の朝には事故処理係の担当者がすっ飛んで来た。

その後に他社の倒産事件の時に出会った街金ほどではなかったが、さすが未収金などを取り立てる担当だけあって、ドスが効いている。

「『期限の利益』を喪失したのだから、残額を一括返済してくれ」という。

「それが出来ないなら、すぐにも差し押さえの手続きに入る」と言い出した。

取引先へ差し押さえがかかれば仕事にも影響する。

「今までどおり毎月キッチリと支払う。今までだって一度も滞らせたことはないはずだ」と繰り返し言い続けた。

その後も先方の事務所へ何度も足を運び、同じ話を繰り返すものだから、ついに担当者も音を上げてしまった。

「わかりましたよ。こっちは差し押さえの準備はすでにしてありますが、しばらく保留しますよ。でも約定書では一括で返してもらうようになってるんだから、こちらの主張は変わりませんよ」

ということで、一時休戦となった。

その後、当初の返済予定どおりに毎月返し続けたものだから、先方は何も言って来なくなった。

この住専会社も、今から二年ほど前に倒産した。

銀行からの紹介だった事実から見ても、都市銀行が陰で何をやっていたのか十分に想像がつく。

これもトカゲの尻尾切りの一種だったのではないだろうか。

今も返済を続けているが、この会社への債務は都市銀行へ債権譲渡する旨の通知があった。

まだ手続きが済んでいないようだが、手続きが完了する頃には高石書房の債務もなくなりそうだ。

当時、国民金融公庫からも同じように一括返済を求められたが、あくまでも当初の返済予定どおりの分割返済を続けた。

もう二度と借りることもないと腹を決めての強引さで突っ張ったのだ。

完済する意思さえあれば、自分なりのスジを立てて押し通すことも必要だと思っている。

しかし、返し切る意思があるのだと相手に伝えることも大切なことだと思う。


仕事が向こうからやってきた

事業経営で失敗しただけでなく、再建さえも足踏みしていた。

そのような時に声をかけてくれた人がいっぱいいる。

ウチへ来ないか、一緒に仕事しようよ、俺んところの役員にならないか、手伝ってくれよ、などなど。

地獄に仏とはこのことだ。本当に嬉しかった。

でも彼らのところへは行けなかった。

借金が多過ぎたのだ。

たとえ毎月百万円の給料を貰ったとしても、私の借金は数億円。返せるわけがない。

やはり自分で事業をやらなければ返せる金額ではないのだ。

当時こんな話もあった。

出版社の多くが○○新社となっている。

出版社にとっては資産評価出来ない財産が多い。

出版権や口座である。

口座と言ってもわからないだろうが、出版社は販売ルートとして出版取次(トーハン・日販といった出版卸専門の問屋)への取引き契約をおこなっている。

この取次口座がなかなか取れないのだ。

取引き条件のいい口座なら、幽霊口座の売買といって数千万円で取引きされている。

このような大手の取次(問屋)から、「新社にするなら口座を開設しますよ」と持ちかけられた。

「ほかはそうしてますよ」

何のことはない。

倒産した出版社の多くが、債務は旧社に残したまま、影の資産部分を新社に移せば再出発も簡単だというわけだ。

トカゲの尻尾切りならぬ債務の切り捨てだ。

それぞれ事情もあり、社会的にも評価の高い出版社を残すためだからやむを得ないのかも知れないが、出版業界に○○新社があふれている原因になっている。

意地もあり、ほとんどすべての債権者が私の会社の再建に同意してくれていたために、この話は受け入れられなかった。

「債務の切り捨ては出来ません。そのほうが良いにしろ、もしかしたら債務の切り捨てを考えているのではと疑われるようなことは出来ません」

本当は後ろ髪を引かれる思いもあったのだが。


事務所の場所も変えず、電話番号も変えず、数多くの債権者に一人ひとり現状を報告して、今すこし返済を待って欲しいとお願いすることがいかに辛い仕事だったか想像出来るだろうか。

一人ひとりの債権者にとってはわずか二、三分の電話に過ぎない。

それも好意と心配からの電話が多かった。

でも受けるほうは一日に三、四十件もかかってくるのだ。

今でも電話のベルを聞くたびにドキッとする。

事務所にいると突然電話がかかってくるので、来客がある時など一部屋に縮小した事務所で電話の応対をするのも何かと差し障りが生ずる。

用事がなくても、出来るだけこちらから債権者のところへ足を運ぶようにした。

その時に初めて手にしたのが『ポケベル』だった。

事務所には、「もし債権者の人から電話があったら、三十分以内には折り返し電話しますと言って欲しい。そして必ずポケベルで呼び出してくれ」と言っておいた。

いつでもすぐに連絡が取れる、このことによって債権者の人たちからもすこしずつだが信頼してもらえるようにもなった。


そのような時、よく行っていたのが靖国神社の裏にある能楽堂の前の広場だった。

奥まっていて、あまり知られていないのか、桜祭り以外の時は比較的静かで、緑に包まれ、白いハトが飛び交い、静かに時間が流れてゆく。

私の会社からも近いので、何かあればすぐに戻れる。

喫茶店代もないので利用したのだが、公衆電話の近くの木陰のベンチに腰かけ、テーブルに原稿を広げて仕事をした。

通りすがりのお年寄りたちから見れば、何とノンビリと仕事をしているものかと映っただろう。

ポケベルがPHSに替わり、今では携帯電話を持ち歩くようになったが、その程度には会社も改善されてきているのかもしれない。


それが良かったと思っている。

中には自宅へのいわば嫌がらせとも思える電話もあり、最後には居留守を決め込んだことも否定はしないが、少なくとも出来うる限りの対応をさせてもらったと自負している。

そのうち現状報告を求める電話より、相談の電話が増えてきた。

債権者の取引き先の、私と同じように行きづまった出版社をどうすればいいかという相談だ。

自分の頭の上のハエも追えないような私に相談に乗ってくれという。

「あなたは経験者だから」というのだ。

自分にはそんな能力がないと断りながらも、迷惑をかけた債権者や取引き先からの話なので、もし私でお役に立つのならと出向く機会が増えてきた。


鏡もないのに、自分で自分が見えるわけがない

不思議なことだが、自分の頭の上のハエは追えなくても、目の前の赤の他人の頭の上のハエは追えるものだ。

また、他人の頭の上のハエを追っているうちに、自分の頭の上のハエがどこにいるのか見えてくる。

失敗には法則がないにしろ、何かしら匂いが感じられる。

失敗する人間もそれなりの匂いがする。

賭け事に例えれば、マージャンをやっていて、相手に先にあがられた時に、こんなに良い手だったのにと、手のうちを見せて悔しがる人物、競馬で第一レースから最終レースまで全レース賭けないと収まらない人物、このようなタイプはいつか必ず、間違いなくつまずく。

自己中心に世界が回っていると勘違いしているタイプだからだ。

思い入れの強い人物は、大成功するか失敗するかの両極端だ。

女に弱い男は、金にもだらしないなどなど。

法則とはいえないまでも、匂いがする。

中小企業の経営者には、お山の大将が多い。

成功すれば、図に乗り、失敗すればシュンとなって小さくなる。

自分がそうだったから、こんなにわかりやすい図式はない。

お山の大将の最大の欠点は、比較する対象を持たないことだ。

物差しを持たずに自分の感覚だけで判断しようとする。

幸いなことに、とは言っても倒産して地獄の底での経験だが、取引き先や債権者の人たちからの相談に乗って、自分と同じようにつまづきかけている経営者と会う機会が増えてきた。

その時、近親憎悪なんだろうが、自分と同じような失敗をしそうな人に対しては歯に衣を着せぬ辛らつな忠告をするようになった。

何のことはない、自分に言い聞かせているにすぎないのだが、つい最近自分が陥った失敗だけに迫力満点とあいなる。

いつのまにか『再建屋』だとか『事件屋』という称号をいただいた。

『出版サルベージ』『出版ジャンク屋』などと揶揄する人もいる。

このことで私が思うのはただ一つである。

人の鏡には人しかなり得ないということだ。

草原にただ一人いて商売など成立しない。

人間関係の中でしか成り立たない仕事なら、自ずから自分を映す鏡も、そして物差しも他人でしかあり得ないのだ。


一周遅れのトップランナー

人生には死という終わりはあるがゴールはない。

企業も同じである。

ゴールがないにもかかわらず、みんなが先を急ぐ。

一歩でも前に出ることが、より有利に事業展開できるからだ。

競争社会の資本主義の中では、常に前に出ることが戦略的にも求められる。

だが無理をして息を詰めてダッシュしても、息切れを起こし、脚をもつれさせでもしたら、すぐに後続者に追い越される。

時にはそのままご臨終となる。

ゴールのないレースなのだから、自分の体調を考え、早めに給水し、休憩も取ってマイペースで走るのが最善の道なのだ。

とはわかっているのだが、競争に巻き込まれてハイテンションになっている経営者にはそれが出来ない。

私もそうだったから、イヤと言うほど良くわかる。


中国の歴史を見ると、栄枯盛衰の激しさには唖然とさせられる。

それも国土と人口が多いせいか、黄河のように大きな、あらがいようのない流れとなって時代が変遷する。

そして現代になり、世界列強の植民地政策の好餌となっていた中国も発展期を迎えた。

現在、中国ではインフラ整備が急ピッチに進んでいる。

その過程でアレッと思ったことがある。

電話のことだ。

国土の広い中国では電話線を張りめぐらすのは容易なことではない。

施設は遅れに遅れ、停電の多さともあいまって海外企業が事業進出するうえでの最大の懸案事項となっていた。

それがこの数年、携帯電話の登場により、まったく苦にならなくなったという。

膨大な電話線を引くための経費は無用となり、すべての予算を携帯電話の設備に振り向けるものだから、一気に携帯電話が普及したのだ。

遅れて出発したから無駄な費用を使わなくて済んだいい例である。


私の会社は七年前に一度倒産したために、当時の従業員も多くが離散し、今では私自身も他社の雇われ社長や顧問を兼務している。

何のことはない、バブル崩壊以降に声高に叫ばれているリストラを、すでに済ませているのだ。

ないから払えない、借金も出来ない現実は、たとえ借金だらけではあっても、今各社が目指しているキャッシュフロー経営をすでにやっていることになる。

一周遅れのトップランナーは、陸上競技では負け犬になるが、こと経営に関しては成功することが多いのだ。

中国の栄枯盛衰の例を引くまでもなく、私たち自身、景気の波や産業構造の目まぐるしい変化を見てきている。

「歴史はラセン階段状に発展する」と言った学者がいたが、経営者にとっては競技場の周回コースとあまり変わりがないのではないだろうか。

問題はいつどこで、一周遅れでもよいから、トップランナーの位置を確保するかだけだろう。


マルチ人間でないと社長は務まらない

業種や分野によっても異なるので一概には言えないが、自分が経営者としてやっていけるのかどうかの判断基準は、たとえ社員が一人残らず辞めてしまっても、自分一人でも事業が続けられるかどうかだと思う。

メーカーならば、商品開発、製造管理、業務管理、営業販売など、同じ企業の中に異なる職種がいくつもある。

私のやっている出版業でも、企画、編集、営業、宣伝、総務、経理、商品管理と、仕事の質も分野も多種多様である。

小売り商売でも、商品仕入れと商品管理と経理業務、時にはマーケティングリサーチまで、たとえ店の規模が小さくても多種多様な仕事を小人数で受け持ってやっているはずだ。

出版業界という狭い世界で見ていても、結構力量があって業界でも知られていた人物が、独立して事業を始めると、すぐにつまづいてしまった例を多数目にする。

それも大手の出版社の出身者にその傾向が強く見られる。

結局は、専門職に過ぎなかったのだ。

限られた分野では秀でた力量は確かにあったのだろうが、事業の運営には、たとえ自分が手を下せなくても知識としてすべての分野を把握していることが必要であると思う。

仕事の流れの把握力と仕事に関する基礎的な知識さえあれば、自分で出来なくてもアウトソーシングで補うこともできる。

知識がなければ外注しても、それが合理的に進み、適正な金額で請求されているのかどうかさえわからない。

経営者はマルチであることが求められるのだ。

そうでないことには、個々の分野の仕事に問題がないのかどうかさえわからなくなる。

私の失敗の要因の中に、急速に事業を拡大しすぎたための、一つひとつの分野への認識不足があった。

時代を先取りして、書籍から映像商品のビデオへと事業拡大を図ったが、映像事業部を作りはしたものの、専門家を雇えばいいだろうとの安易な考えで、任せきりにしてしまったのだ。

経費は湯水のように出て行くが、担当者から、「相場ですよ。これくらいはかかります」と言われれば、そんなものかと思ってしまった。

制作期間も、「この程度」と言われれば、鵜呑みにせざるを得ない。


新規事業を始める場合には、経営者自身がその中に入って、状況把握と分析と、事業としての課題と解決策を、それこそ身体で感じながら身につけていかざるを得ない。

もちろん誰もが、何でもやれる才能を持っているわけがない。

要は経営者なら、事業経営にとってどこに問題があるのか、問題点を感知する感覚的なアンテナを、すべての分野に張り巡らせていることが、危機回避のためにも必要だと思う。


社長も、いらない会社

会社そのものの売買が別に不思議でもなんでもないような状況になってきた。毎日のようにM&Aの記事が紙面を賑わしている。

このことは、今までのような経験や勘に頼る事業運営そのものが、すでに時代遅れになったことを端的に示している。

経営者が変わろうと、管理職が変わろうとビクともしない企業の形態、システムとしてビジネスを構築することは、人種の坩堝のアメリカでは必要不可欠だったのだろう。

現在の急激な時代の変化は、日本の企業にまでアメリカ型の経営システムを要求している。

阿吽の呼吸での意思伝達や、年功序列の終身雇用制に支えられた信頼関係を基本にした事業運営では成り立たなくなりつつある。

資本の論理は今まで以上に、経営者はもちろん、従業員にまで合理主義という、シビアな感覚を求めている。


ある日突然、誰が居なくなっても成り立つ経営が理想とされる。

「俺が居なければこの会社は持たない」などというのは、システム化出来なかった無能力者の、曳かれ者の小唄にしか過ぎない。

社長さえ居なくても、事業運営に何の支障も来たさないところまでシステム化出来れば、そこから新たな事業展開のチャンスも生まれてくる。

これからは、『システムの中に組み込まれる』という後ろ向きの見方でなく、『システム化することによって、新規事業への進出や商品開発への余力を確保する』という発想が必要なのではないだろうか。

今の社長を務めている人物が居なくなると成り立たない企業に対しては、誰もM&Aをかけては来ないだろう。

声がかからないのは、その企業にそれだけの価値が無いことの反映だ。

いつでも身売りできる形にまで事業形態を整えることが、これからの経営者の重要な課題ではないだろうか。

自慢めいた話になって恐縮だが、今私が関与している会社で、私が居なくなっても困る会社はほとんどない。

特に、高石書房でそれが言える。ただし、前の多額の借金を今も引きずっているので、責任上辞めるに辞められないのだ。

借金があること以外に私の存在価値がないことも、さびしい限りだが。


見切り発車は、地獄への踏み切り台

景気の良い時には長所が、景気が悪くなると短所が顔を出すものだ。

攻め続けている時には、少々の矛盾も勢いの中で消されてしまう。

守りに入った時は、小さなほころびが取り返しのつかない弱点にまで拡大して、命取りとなる。

私もそうだったが、守るより攻めるほうが矛盾も出てこないので、経営者はついつい攻めることに夢中になる。

経営者がそうであるならば、従業員もおのずから右へならえということになり、ついにはブレーキの利かない暴走となって破綻を招くことになる。

経費をかけて途中まで進めた仕事を、一介の社員の口から「中止すべきだ」と言えるだろうか。

危機を察知した時の中止の決断は、社長にしかできないことだ。

マーケティングリサーチをして、開発準備を慎重に進めて出発しても、世の中何が起こるかわからない。

急ブレーキも、急ハンドルも、時には必要になる。


こと経営に関しては、石橋を叩いて渡っても百パーセント確実なんてことはあり得ない。

それでも前進するのは突発要因に対してフォロー出来る自信があればこそだと思う。

問題は、突発要因に対するフォローする余力が、本当にあるのか、ないのかだ。

経営者として、会社の体力と、自分の力量を推し量ることほど難しいことはない。

幾多の危機を乗り越えてきた経営者なら自覚もあるとは思うが、何度も痛い目に合っているとはいえ、私などはまだまだ修行が足りない。

今は『微速前進』で足元を確認しながら進むしか方法はないと思っている。

足元が見えなくなったら立ち止まって周囲をうかがう。

何が隠れているか様子もわからないのに、見切り発車だけはしないと決めた。

企業であれば後退は許されないが、今頃になって現われた自分の臆病な一面に、今では感謝している。

それでも攻めの姿勢だけは常に維持しているつもりである。


第三章へとつづく

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